
(設立当時、木造建築の共楽荘養老院)
地域と共に
共楽荘は1949年9月に開設し、2025年で設立76周年を迎えました。
現在、共楽荘特養ホーム、養護老人ホーム共楽荘、デイサービスセンター、訪問介護サービスセンター、居宅支援センター、地域包括支援センター、診療所などの事業を実施している共楽荘は、この建物から始まりました。

(当時の食事風景。肩寄せ合ってのお食事風景)
設立当初の共楽荘
創設者の阿部倉吉は戦前から授産施設、保育施設を運営していましたが、終戦で栄養失調のまま困窮生活を続けている老人たちの悲惨な現実を前に、1948年に財団法人阿部睦会を開設。翌年に共楽荘を設立しました。命名の由来は「厳しい生活条件の中でも将来に向けて少しでも共に明るく楽しい生活ができるように」との願いを込めて。
設立時の1949年は戦後間もない昭和24年でした。旧海軍工廠工員宿舎の建物の中で、家族を亡くした方、住む家を失った方など多くの方が共楽荘に身を寄せ合い生活していました。

(昭和50年代、桜の樹の下でくつろぐ養護棟の皆さん。建物も立て替えられ写真もカラーになりました)
新しい時代に向けて
創設者の阿部倉吉は「日本一の老人ホームを造る」という理想実現に向けて日々邁進していましたが、1953(昭和28)年に志半ばで急逝。2代目会長の阿部絢子が事業を引き継ぎました。
高齢者と病気は背中合わせであるという実態を踏まえ、1954(昭和29)年に付属診療所を開設。同年共楽荘改築3か年計画に着手、1957(昭和32)年に養護棟の一次整備を完了しました。1963(昭和38)年に老人福祉法が制定され、翌年に神奈川県第一号である特別養護老人ホームを設置。また、同じ年に共楽荘初声分園(現 美山ホーム)も開園。1979(昭和54)年には日の出保育園の新築、移転を行い、現在の礎を築いてきました。

現在の食事風景(養護老人ホーム)
時代が変わっても いつまでも
戦後一貫して平均寿命が伸び、世界一のスピードで超高齢化社会を迎えた日本。それに伴う質の変化にも対応してきました。
1970年代に入り、老朽化した建物の二次整備を進めるとともに、在宅の高齢者も含めた地域全体でのケアの拡大に伴い、1978(昭和53)年の在宅入浴サービスを皮切りに、給食サービス、ショートステイ、デイサービス、ホームヘルパー派遣などにも取り組んでまいりました。
2000(平成12)年には介護保険法も施行。それ以降も、2004(平成16)年に横浜市金沢区に横浜能見台ホームを開設。2006(平成18)年に衣笠第一地域包括支援センター委託事業を開始。2019(平成31)年には在宅給食サービスを発展させる形で共楽荘きずな弁当事業を開始しました。
これからも時代の変化に対応しながら、皆さまの期待に応えるサービスを提供していきます。

(共楽荘全景)
地域の社会資源として
共楽荘はJR衣笠駅の程近くでありながら、横須賀丘陵地特有の緑豊かな谷戸に佇んでおり、閑静で四季折々の自然を楽しめるのが特徴です。
敷地は広く、入り口の門から奥に向い緩やかな傾斜があり、この土地の特徴を生かして5棟の建物から構成されています。イラスト手前からD棟(集会室、デイサービス、特養D)、A棟(診療所、特養A) 、B棟(法人事務所、特養B) 、C棟(訪問介護、居宅支援事業所、特養事務所、短期入所事務所、地域包括支援センター、売店、喫茶室、特養C)、養護棟(養護老人ホーム)

(金栄町内会によるお囃子お神輿渡御)
地域の皆さんとの交流
共楽荘は古くから地元の金栄町内会に加入。お祭りの時の神輿の来荘や防災協定を結ぶなど、地域社会との交流を図っています。
その他にもボランティアの皆様による訪問行事や利用者のクラブ活動支援。近隣の中学生、高校生向けに福祉学習の実施など、さまざまな活動を行っています。

(D棟集会室での仏供養会)
続いていく感謝の気持ち
共楽荘では春・新盆・秋に大明寺御前様を招いて仏供養会を開き、これまで共楽荘からお見送りした故人の冥福を、ご家族や職員、ご入所者の方々と感謝の気持ちでお祈りしています。
(先人を送り火でお見送り)
歴史は引き継がれます
新盆の仏供養会の時期には、施設総合受け付けに迎え火を焚いて先人をお迎えし、その後送り火によって魂をお送りする行事が脈々と続いています。この季節行事を大切にする文化も共楽荘の歴史の一ページです。